環境思想は、環境問題の渦中にいて、今すぐに何とかしなければならない状況にある人にとっては、 どうでも良いものかもしれません。
「環境思想」と言われているものは、欧米産の考え方が中心です。 ディープ・エコロジー等です。
このサイトは、 陰陽五行説 や、 風水 を扱っていて、これらは東洋思想です。 筆者は、これらを、全体(システム)の調和を整えていくための考え方として、 取り上げています。
一方、環境思想論の中で、東洋思想が登場する場合は、 「自然 vs 人間」という、伝統的な欧米流の図式に関係していることが多いようです。
ちなみに、ディープ・エコロジーは、大いなるものと一体化して、 自然と人間の区別を超越しようとする考え方のようですので、 伝統的な欧米流の考え方が、いつまでも同じな訳でもないです。 仏教の考え方と、非常に似て来ていると思います。
朱子学では、現実にあるものが「気」、それを司る理論が「理」として説明されています。 朱子学は、そういった「自然界の理」ということだけではなく、そこらからさらに、世の中のあり方の議論に結び付けています。
陽明学は、朱子学と対比して解説されることが多いです。 歴史的には、朱子学が権力者を正当化する内容を持っていたことに対して、 陽明学は、個々の民衆の意思を尊重する内容を持っていたため、歴史の変化の場面でこれを学んだ人による影響があったようです。
朱子学と陽明学を比べて解説する形になると、「心」をどのように考えるのかや、為政者のあり方、のような点がポイントになります。
ケルトというのは、簡単に言えば、 アイルランドを代表とした地域における、キリスト教が普及する以前の土着の文化のことです。
いわゆる「西洋思想」は、「東洋思想」と対比的な存在のように言われます。 しかし、ケルト思想の中には、輪廻転生があったりして、東洋思想との共通点があります。
話がちょっと外れますが、 筆者は、「ケルト音楽」と言われるジャンルを、よく聴きます。 ケルト音楽は、哀愁があって流麗な旋律です。 日本人の感覚に馴染みやすいと思います。 ケルトと日本の思想の共通性について、筆者は、音楽を通して、何となく納得しています。
環境倫理とは、 「"環境"をどう考えるのか?」とか、 「人間はどうすべきなのか?」、と言った疑問に対しての規範です。
環境と品質 のところで、このサイトの データサイエンス が、どういう目的で取り上げられているかを書きましたが、 「未来の人も含めた、あらゆる関係者」というような発想は、環境倫理の分野でも言われています。
環境倫理には、よく言われる主張があります。 これらの主張を、「普遍の真理」、と思っている方もいらっしゃるようです。。。 下記のようなものです。
環境思想論者は、物の見方を見直すことによって、 環境問題における人間の内在的な原因を改善しようとします。
この考え方の一つの帰結として、環境思想の分野では、 「合意形成のための拠り所や、合理的な行動のための理論として、 ひとつの思想を絶対視しよう。」という、強い意志を示す方もいらっしゃいます。 筆者は、それが環境倫理なのだと思います。
筆者としては、思想の多様性が重要だと思いますので、 全世界の人の規範をひとつのものに合わせるべきかどうかは、疑問です。
「環境思想とは何か −環境主義からエコロジズムへ」 松野弘 著 筑摩書房 2009
この本は、経済的な合理性の流行と、環境問題の関係を重視しています。
また、思想を政策につなげることを、かなり意識しています。
最後が、「緑の国家論」になっています。
ディープエコロジーのような思想を現実化しようとすると、
急進的な政治運動の形になってしまうことがあります。
この本では、現実的な社会変革の方法として「エコロジー的近代化論」を紹介しています。
「エコロジー的近代化論」は、筆者の言い方でまとめると、「
環境経済学
」を方法論とし、「持続可能性」をスローガンにしています。
この本では、持続可能性の尺度として、
EPI(Environmental Performance Index:環境パフォーマンス指標)が紹介されています。
「ニューエコロジー −美への気づき醜への気づき」 井口博貴 著 東京法経学院出版 2005
タイトルの「ニューエコロジー」ですが、
これは、現在、「エコロジー」と言われているものは、生態学という、もともとの意味のエコロジーではなくなっているので、
区別するために、「ニュー」を付けています。
サブタイトルの、美(うつくしいもの)と、醜(みにくいもの)の両方を知っていく環境教育の大切さも、
語られていますが、この本の一部です。
この本は、環境思想をバックにした環境教育を論じています。
風水
や、ディープエコロジーもありますが、
ISO14001
も出て来ます。
最後は、エコリア思想が力説されています。
エコリア思想というのは、
地球全体をエコロジーの博物館として持続させようという思想です。
@自然との共存、A文化遺産の保存、Bライフスタイルの評価の3本柱になっています。
AとBは、「過去の事を教材として残そう。」ということで、含まれています。
「環境思想と社会 −思想史的アプローチ」 三浦永光 著 御茶の水書房 2006
思想史から、自然と人間の関係を、読み解こうとしています。
3種の合理性として、「経済合理性」、「国家主義の論理」、「科学技術合理性」を挙げ、
これらの追求が、社会的な公正を歪めたとしています。
筆者は、このサイトで、
ヒューリスティクス
を扱っていて、「合理性」について触れています。
それもあり、この本の「合理性」についての議論は、印象的でした。
「ディープ・エコロジーの原郷 −ノルウェーの環境思想」 尾崎和彦 著 東海大学出版会 2006
「ディープ・エコロジー」という思想の背景を探る本です。
提唱者のアーネ・ネスの生い立ち、ノルウェーの風土、北欧神話とのつながりが出ています。
「環境心理学 ―人間と環境の調査のために―」 羽生和紀 著 サイエンス社 2008
環境心理学
の入門書です。
自然環境の心理学の章には、心理学と言うよりも、環境思想と言った方が良い内容がありました。
・バイオフィリア仮説:ウィルソン氏が提唱。
筆者なりに要約すると、
「自然環境の中で暮らすことがなくなっても、遠い祖先が自然環境に適応して暮らしていた時の、
「生命への愛」の心理が、
現在も本能として残っている。」という仮説です。
・サバンナ仮説:「人類の遠い祖先がサバンナに住んでいたので、
現代人もサバンナのような環境を好む。」という仮説です。
「環境思想と人間学の革新」 尾関周二 著 青木書店 2007
哲学書です。
環境問題の本なのに、
「コミュニケーション」という言葉があちこちで出て来て、異彩を放っています。
この本は、さっぱりわかりません。
ただ、「この本のような視点も、無下にしない方が良いかも?。。。」、と何となく考えています。
「新・環境思想論 −二十一世紀型エコロジーのすすめ」 海上知明 著 荒地出版社 2009
文明論に始まり、欧米発の思想
(ネオ・マルサス主義、動物解放、ソーシャル・エコロジー、環境神学、ディープ・エコロジー、等)を述べています。
そして、従来の環境思想が、欧米発であることによる限界や問題点があるとし、
東洋思想の可能性を紹介しています。
ディープ・エコロジーは、「意識を地球と一体化させると、自然を客体化する発想はなくなる。
自分を守ることと、自然を守ることが同じになる。」、という思想としてまとめています。
仏教の思想と類似していることにも、言及しています。
「東洋思想」は、サンプルとして、日本の思想を取り上げています。
万物に神が宿るとする、「アニミズム」や、「混沌」という思想が、
欧米の思想に比べて、「劣っている」と判断されるのは、一神教(キリスト教)を、
最上のものとする前提にあると指摘しています。
日本の思想は、様々な神々が、様々な形態で並んでおり、
それは、寛容と多様性の現れで、エコロジーの理想としています。
南方熊楠、今西錦司や、里山論についても、コンパクトにまとまっています。
「東洋思想における心身観」 東洋大学東洋学研究所 2003
2000年から3年間行われた研究プロジェクトの報告書です。
講演の記録と、論文の両方があります。
「ヒポクラテスの医学は、心と病気の関係を考えているのに、
ヨーロッパにおける自然科学の発展の中では、『心』は軽視されて来た。
東洋思想には、心身一体観がある。」、というのが、プロジェクトのベースになっています。
仏教(原始仏教、大乗仏教、チベット仏教)、ヒンドゥー教、道教、ヨーガ、万葉文学、等の、
様々な心身観について、原典を元に研究しています。
東洋医学の全般的な解説もあります。
このページの内容と特に関係するのは、大鹿勝之氏が、
環境倫理と風土論について論じている部分です。
日本の風土の特徴は、主語を省略しがちな、日本語にも表れていることを述べています。
これは、「日本には、主体性の意識がない。」、ということであり、
つまり、「『自然 vs 人間』の図式がない。」ということだそうです。
「自然 vs 人間」の図式は、ほぼすべての環境倫理の基本になっていますので、
著者は、この事実をもって、環境倫理に問いかけをしています。
「東洋的環境思想の現代的意義 −杭州大学国際シンポジウムの記録」 農山漁村文化協会 編 農山漁村文化協会 1999
国際シンポジウムの時の論文集です。
「東洋」の地域は、中国、日本、イスラム圏です。
中国の思想は、「天人合一」や、その逆の「天人分離」をキーワードにして、諸子百家の考え方が紹介されています。
風水も出て来ます。
日本の思想は、安藤昌益、等です。
イスラム圏の思想としては、「中庸」がイスラム教で重要であることが紹介されています。
環境倫理もあります。
「仏教と環境 −立正大学仏教学部開設50周年記念論文集」 立正大学仏教学部 編 丸善 2000
仏教の思想を、環境倫理として定めようとしている基調の論文が多いようです。
仏教にはいろいろな考え方があるので、論点もいろいろです。
・「心核と物核」の論文で、涅槃経の「一切衆生悉有仏性(すべての生き物は、仏性を持っている)」を取り上げ、
仏性と真理が同格であるとしています。
ちなみに、この論文は、物質至上主義を捨てて、光を自覚する生活を勧めています。
・「仏教的視点から見る現代社会の諸問題」の論文では、
仏教の縁起法を、欧米の要素還元主義の反対の概念としています。
縁起法では、「一切の事物、事柄の実体を認めないで、すべての物は周囲との関係性によって成り立つ。」とします。
縁起法を
複雑系
の研究と結びつけています。
「とんでもなく面白い『古事記』 」 斎藤英喜 監修 平野まゆ 挿絵 PHP研究所 2012
「歴史を知らずに現代や未来は議論できないな。」、と思い始めたのと、
ケルトとの関連、また、挿絵が良いので手に取った一冊です。
古事記の成立過程やあらすじを、楽しくまとめています。
「オホゲツヒメは、もともと食べ物を体内から取り出す能力を持っていたのに、
スサノオ(アマテラスの弟)に殺されてしまいます。
そして、亡くなった体から五穀の種が生まれ、人類に授けられた。」、と書かれているそうです。
この本の限りでは、
「昔(古代)の日本人は自然と一体に生きていた。」、といった内容は見当たりませんでした。
オホゲツヒメは、自然との調和のような話にはつながらないと思いますので、、、
「風土」 和辻哲郎 著 岩波書店 1991
和辻氏の昭和3〜4年の講義の草稿を元にして作られた本です。
初版は、昭和10年頃のようです。
風土論の名著として、
あちこちの環境論で引き合いに出される本です。
ただし、理論の短絡性を指摘されてもいます。
筆者には読みにくい文章でしたので、3ページ程で読むのをやめて、後はパラパラと眺めました。
欧米の風土を「牧場」と表現したりして、象徴的な言葉も使われています。
世界の風土と人の行動を論じているようです。
「朱子学」 木下鉄矢 著 講談社 2013
朱子学における「理」について、かなりのページを割いて解説しています。
「理」というのは、最上段に「太極」があって、その下が、が陰陽、、五行、性、と続きます。
「朱子学と陽明学」 小島毅 著 筑摩書房 2013
朱子学と陽明学を対比させる形で、様々な側面から解説しています。
朱子学は孔子の儒教をベースにしているものの、「理」はそのベースにはないそうです。
それが、朱子学を批判するポイントになっていることがあるそうです。
「朱子学入門」 垣内景子 著 ミネルヴァ書房 2015
「気」、「理」、「心」について、語義の考察から始めて、朱子学の中での位置付けを進めています。
「真説「陽明学」入門 黄金の国の人間学」 林田明大 著 三五館 2003
「納得のできる生き方は何か?」といったことを研究して、世界の思想を研究した上で、「これが答えだ」と著者が考えたのが陽明学だったようです。
この本では、陽明学が成立する前後の歴史的な流れから、陽明学を理解するだけでなく、世界の思想を参照した上で陽明学の理解を深め、解釈されています。
まず、他人と自分といった物事の区別はないと考えることがあって、それ前提としながら、自分の心の動きを自分で把握するようにしたり、
「良い行動は何か?」の答えを自分で見つけていく生き方を示しているのが陽明学、ということのように筆者は理解しました。
「「学び」の復権 模倣と習熟」 辻本雅史 著 岩波書店 2012
模倣
を教育方法として再評価している本ですが、朱子学も紹介しています。
貝原益軒は、朱子学で説かれている「理」に注目したものの、「理は見えないもの」というところに留まらず、
それを「術」という形で見える形にする活動をしていたそうです。
「術」というのは、その分野の中で洗練されて得られた方法論です。「技」と言っても良いかもしれません。
「様々な分野には、術があり、それは師匠から弟子に伝わるもの。
師匠とは、教えることが役割なのではなく、模範になることが役割」という考え方をしています。
「ケルトと日本」 鎌田東二・鶴岡真弓 編著 角川書店 2000
ケルト文化と日本文化を比較しています。
・ドルイド教について、いろいろ書かれています。
例えば、3が聖なる数になっていることです。
・「グリーンマン」とは、体から穀物等が生えて来たといわれる伝説上の人。
ヨーロッパ各地に伝わっている。
古事記の「オホゲツヒメノミコト」は、日本のグリーンマン。
・柳田国男氏 : 民俗学の構築の中に、ヨーロッパにおけるケルトの研究を踏まえている。
・岡本太郎氏 : 縄文土器を、無駄がなく、強さを持った、「美」と評価した。
また、縄文土器とケルト文化が、驚くほど似ていると評価した。
「図説ドルイド」 井村君江 監訳 東京書籍 2000
ドルイド一色の本です。
現代に、ドルイドの思想を復活させようとする人たちがいて、
自然開発への反対派になっているそうです。
「生命と環境の共鳴」 高橋隆雄 編著 九州大学出版会 2004
「ケア」を掲げているせいか、この本には、思いやりや優しさが感じられます。この本の世界は、深いです。
本のタイトルが、ほぼそのまま議論されているのが、編者が著している章で、
医療等における生命倫理と、環境倫理について述べています。
両者は、将来世代への影響を扱う点や、米国からの輸入の影響が大きい点が共通としています。
環境倫理は原生自然を重視しますが、これは米国の発想があるからで、
英国や日本は里山主体であり、原生自然と人為の自然を区別するのは、すでに困難になっている点を指摘しています。
これは、自然中心主義のような発想が、そもそも成り立たないということでもあります。
2つの倫理を統合するのが、「ケア」という概念で、ケアを中心にすることを提案しています。
ただし、ケアだけでは、「悪しきケア」が発生するかもしれないので、
「権利」という概念で補完することや、
継続的な自己評価も必要としています。
その他の章では、「知る」とか「住まう」のようなことを、根本的な概念から考えている章もあります。
「環境倫理の新展開」 山内廣隆・手代木陽・岡本裕一朗・上岡克己・長島隆・木村博 著 ナカニシヤ出版 2007
無駄の少ない、鋭い視点です。
易しい内容ではないですが、何度も読んでみたい本です。
・スピノザ:古代の自然観を近代に復活させようとした人。
17世紀当時ではなく、後の思想論の中で、「先人」としてもてはやされるようになった人。
(環境思想の傾向とも、合っています。)
・アービッヒ:「共世界」という言葉で、自然としての人間を提言。
カントの感性界と叡智界という2つの世界の関係に注目。
人間の本性に従った生き方として、「自然との和解」を提言。
「環境と倫理」 加藤尚武 編 有斐閣 1998
環境問題と倫理学・持続可能性・水俣病・環境正義・動物解放論・
生態系
・京都議定書・戦争と平和・宗教とのかかわり、等様々な視点から、
環境を見つめている本です。
ともすると、狭〜いものの考え方に閉じこもってしまいそうなテーマですが、
うまくアプローチしているように思います。
「新潟から考える環境倫理」 栗原隆 著 新潟日報事業社 2002
環境倫理の優しい啓蒙書です。
単なる「論」ではなく、
主な事例が、新潟県で実際に起きたことになっていて、具体的です。
加藤尚武氏の主張がベースのようです。
フロンティア倫理 − 開拓者の倫理です。有り余る程、自然資源があるケースでは、問題がない倫理です。
ホイッスルブロウの倫理 − 「ホイッスル」が「笛」で、「ブロウ」は「吹く」です。
良くないことが起きそうなことを予測した時に、警告する(警笛を鳴らす)倫理です。
「環境倫理学」 鬼頭秀一・福永真弓 編 東京大学出版会 2009
著者多数で、なかなかのボリュームですが、体系立っていて、統一感があります。
思想論と事例研究の両方を併せもっています。
「環境倫理と風土 −日本的自然観の現代化の視座」 亀山純生 著 大月書店 2005
各種の学説に対して、批判する姿勢が強いです。
環境倫理論を、風土論と結びつけ、倫理的な理想社会を描いています。
「環境倫理学ノート −比較思想的考察」 小坂国継 著 ミネルヴァ書房 2003
様々な分野(西田幾多郎氏の哲学、等)に取り組んでいる点が参考になりました。
順路 次は 東洋思想