一口に「 外部性の内部化 」と言っても、いろいろな方法が考えられています。 共通して言えそうなことは、 「環境」を非常に単純なものと仮定したり、 ミクロな場面の話に限定することによって、議論が可能になっていることです。
治療には、その時その時で対処する対処療法と、 原因を根元から治す根治療法があると言われます。 内部化による方法は、どちらかと言うと対処療法です。 環境経済学 と言っても、 既存の経済学の枠組みは基本的に変えない方法ですし、 一部分をベストな状態にする方法(部分最適)ですし、 持続可能性のような時間軸への配慮が、あまりないからです。 その代わり、即効性はあります。
「環境は誰のものかがわからないから、好き勝手にできる。」ということに注目し、 誰のものかを明確にする方法です。 所有権は、他の方法で「対象者」を決める時にも問題になる話です。
環境倫理 が絡んでくると、環境に対する「権利者」に未来の人を含めますが、 未来の人のことを今の人が決めるという、妙なことをしています。
値段がないことが、市場の仕組みが使えない元凶とし、 何とかして値段を付けてしまおうという方法です。
値段を見積もるプロセスは、「環境評価」と呼ばれることがあります。 環境評価では 「お金」という尺度 だけで、多様な環境や状況を表現しようとします。
CVM (Contingent Valuation Method : 仮想評価法)は、 アンケート で値段を決める方法です。 その値段が妥当かどうかを別にすれば、基本的に何にでも値段が付けられます。 例えば、「この景色の維持費は、年間でいくらまでが上限だと思いますか?」、という聞き方をして、 値段のないものに値段を付けます。
CVMに限ったことではありませんが、 アンケートは、「いつ・どこで・どうやって・誰に・何を聞いた」ということで、結果が変わりますので、 扱いの難しい方法でもあります。
実際に修理や治療にかかった金額を元にして、値段を出します。 この方法は、心のダメージや、 お金の出しようがないものが含まれないという問題や、 化学物質の地球規模での拡散のように、広範囲なものはカバーできないという問題があります。
順路 次は 尺度としての「お金」
環境経済学の参考文献は多いため、 環境経済学の本のページ にまとめてあります。